2015年11月27日発行 1405号

【大阪市「入れ墨調査」処分撤回裁判/高裁不当判決と最高裁審理の展望/〈寄稿〉森厚子さん弁護団長・桜井健雄弁護士/差別の現実を理解しない高裁判決】

 大阪高等裁判所第8民事部は10月15日、入れ墨調査拒否処分撤回裁判について、森厚子さん・安田匡(ただす)さん勝訴の第1審判決を覆し、両名を戒告処分とした大阪市の処分取り消しを求める訴えを棄却した。しかも、その手続きは高等裁判所でたった1回の弁論を開いて棄却するというものであった。極めて不当な判決であり、弁護団はすでに上告の申立てを行なっているところである。

地裁判決を覆す

 入れ墨裁判において森さんらが主張していたのは、(1)本件調査が憲法13条違反及びプライバシー権の侵害にあたること(2)調査の目的が別の目的(職員に上命下服を強いること)であったこと(3)調査の必要性のないこと(虚偽の報道を資料に調査が実施されており、今日まで職場で入れ墨が問題となったことはない。また、上司が目視で確認できることや服装のチェックでその目的は達せられ、本人が自己に入れ墨がないことを上司に申告していること)(4)調査の方法が適切でないこと(教育委員会では校長らの聞き取りの方法を採っている)(5)個人保護条例に違反している(大阪市の条例で社会的差別となる情報の収集は禁止されており、入れ墨情報はそれに該当する)等であった。

 2015年2月16日の大阪地裁の判決は、各論点について、(1)〜(4)の点は森さんの主張を認めず、(5)の点だけを認め、入れ墨調査は個人保護条例に違反するとして森さんの処分の取り消しを認めたものであった。そういう意味では大阪地裁判決はきわどい勝訴であったというべきではあるが、勝訴は勝訴であった。

 大阪高裁は同年6月9日に1回だけ弁論を開き、その際、大阪市と森さん側がそれぞれ主張を出したが、それだけで次回は判決となった。通常大阪高裁が1回だけの弁論期日で判決となった場合は大阪地裁の判決が維持されることが大多数である(判決を変更する場合は何回か弁論を続ける場合が多い)ので、我々弁護団としても大阪高裁の判決について必ずしも悪い予想はせず予断を許さないという感であった。

 ところが、判決は前述したとおり、大阪地裁が個人保護条例違反とした点だけについて判断し、入れ墨調査については違反しないとして森さん敗訴の判決となったのである。

差別にあたらぬと判断

 大阪高裁の判決は個人保護条例違反について、(1)入れ墨は必ずしも人格に深く関わったものではない(人によって様々である)(2)特定の個人らが入れ墨をしている事実を知られることで不当な差別を受ける恐れがあると言えるかどうかは一概には言えない(3)入れ墨をしている者に対して、その入れ墨を他人に見せることを状況に応じて制約することは社会的におおむね容認されている。従って、入れ墨をしていることを理由とする社会的に不当な差別が広く行なわれているものを示すものではない(4)入れ墨があることを理由とする不当な差別について行政がその解消に取り組まなければならない状況はない(5)従って、入れ墨情報は個人情報保護条例の「その他社会的差別の原因となる恐れがあると認められる情報」ではない―と判断したのである。

 これらの点について、大阪地裁判決は「市民の意見には(略)入れ墨をしている者は失職させるべきとの意見も寄せられていることに照らすと、入れ墨に対する抵抗感から過剰に反応して不当な差別がされる可能性があることは否定し難い」として社会的差別にあたるとの判断を示していた。

 大阪高裁判決は、大阪地裁判決が述べた点について「入れ墨に対する極端に過剰な反応というべきであり、そのような意見(入れ墨によって職業、居住、教育等を制約したり、公務に就かせないことを当然とするような意見)が社会一般に形成されているとか(略)入れ墨をしている者は失職させるべき等の意見はごく一部の過剰な反応や好き嫌いの類」であり、入れ墨情報は差別情報にはあたらないという判断をしている。

 どちらの意見が事実を反映したものかは明白である。橋下大阪市長は入れ墨をしている職員を公然と非難しているし、また、大阪市職員倫理規則には職員の遵守事項として「入れ墨の施術を受けないこと」等の規定が存在している。現に本件調査の後、入れ墨をしていることが判明した大阪市の職員が処分を受けたとの新聞報道もなされている。

 大阪高裁の判決はそのことに目をふさいだ判決であることは明らかである。

 また、高裁判決でもっとも見過ごせない点は、入れ墨を他人に見せることを状況に応じて制約することは社会的におおむね認められているから、入れ墨について差別が行なわれているとは言えないとした点である。

 この「倫理」は、差別にあたるか否かは社会的な認識による=あえて言えば、皆が公然と差別していることを認めている場合は差別にならない=という論理につながる。

 極論すれば、女性差別を当然とする認識があった場合は、それは差別に該当しないと言っているに等しい。差別を受ける者は常に少数者であり、少数者が差別を訴えるがゆえに差別が解消していく歴史的な現実を全く無視した議論であり、差別が何であるかを全く理解しない論理と言うべきものである。

職員個人の人格否定

 また、高裁判決は、入れ墨情報は差別情報ではないとして結論を出しながら、あえて、仮に差別情報に該当する情報であっても個人情報保護条例が「法令に定めがあるときは例外的にその情報を収集できる」とした情報に本件入れ墨情報は該当するとの判断をしている。そして、職員の身分取扱等に関する事項について、森さんの場合は病院長が種々の調査を行なう法的権限が付与されているから本件調査はその点からも違法でないと不必要な判断をした。

 この判断は、職員は何から何まで生活の多くの部分を上司に調査報告しなければならないということを意味しており、職員の個人としての人格を否定したに等しい判断である。

 その点について、大阪地裁の判決は「職員が入れ墨をしていたことにより、職場に支障を来すことが必然であったとまでは認められない」から必要不可欠なものであったということはできないとして、例外にはあたらないとの判断をしている。
 大阪高裁判決は抽象的一般的議論で結論を出しているのに対し、大阪地裁判決は具体的な状況の中でその必要性を判断している点に大きな違いが存在しているのである。

不当とする力を集め

 この裁判で我々が忘れてはならないことは、第1審は勝訴しているという点である。同じ事件の同じ記録を見て、大阪地裁と大阪高裁が全く逆の結論を出している。この事件は担当裁判官によって結論が異なっているのである。

 もちろん我々は裁判官を選べないし、ましてや最高裁判所は一つであり、最高裁の裁判官をあてにするわけにはいかないものの、裁判官をして大阪高裁の判決を変更させる可能性がなくはないという点なのである。

 それの原動力は、この判決を不当とする力(差別は社会的に容認されていれば差別ではないという誤った論理への批判)を社会的に掘り起こすことであり、この調査の後、大阪市において入れ墨をした職員に対しどのような仕打ちが行なわれているかを具体的に明らかにすることにあると考える。

 最高裁の法廷は弁論が開かれるところまで行くにはかなりの困難があるが、同じく被処分者である矢野幸一さんと津々木勇さんの人事委員会審理の中で上記の点を強く訴え、それを裏付ける立証を行ない、その資料を最高裁へ出すことも一つの方法であると思われる。

 職員を「人」ではなく管理する対象としての「物」としか見ないこの判決、差別は少数者に対して行なわれるという当然の論理を認めない判決を粉砕し、裁判勝利のため共に頑張りましょう。

入れ墨処分裁判

 大阪市は2012年5月、橋下徹市長の指示により、市教委所管の教職員を除く全職員に、入れ墨の有無を答えさせる調査を実施。回答を拒んだ6人に戒告処分を下した。調査のきっかけは「児童福祉施設の職員が入れ墨を子どもに見せている」との報道だったが、そのような事実はなかった。

 被処分者が市を訴えた2件の裁判について、大阪地裁はいずれも「調査は市の個人情報保護条例に反する」と違法性を認定、処分を取り消す判決を出していた。

 なお、大阪市人事委員会に対しても懲戒処分への不服申し立てが行われている。次回口頭審理は12月10日13時〜(大阪市役所内)。



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