2024年08月02日 1832号
【未来への責任(403)/遺骨土砂断念へハンスト(下)】
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沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さんは、沖縄戦時の日本軍第32軍・牛島満司令官を持ち上げホームページに辞世の句を載せた自衛隊に抗議し、琉歌(琉球弧の叙情短歌)を発表している。「沖縄戦で沖縄の民は日本軍によって滅ぼされ、その遺骨は土になっている」という内容の返歌だ。地元紙では大きく報道された。みんな危機感を持っていたのだ。結局、自衛隊は来ず、テントに戻る。
沖縄県が監視に来る。テントにこんな条件を付けるのはおかしいと口論になる。具志堅さんは「今年は従うが前例にはさせないぞ」と強く迫るが、様々な主張の張り紙は外させられた。県は後からも監視に来ると告げ、現場写真を撮った。
警察が入ってきたと連絡が入った。このテントは私が守るので、具志堅さんと小橋川さんには平和の礎(いしじ)に向かってもらった。「平和の礎、遺族が戦没者を偲んでいる時間です。警察官・機動隊員は入域をご遠慮ください」という紙を持って行ってもらった。1時間近く経ってもなかなか帰ってこない。その間テントでは24名のDNA鑑定の申請を受付。台湾の日本兵遺族団体との出会いなど大きな成果があった。
平和の礎に同行取材した沖縄のTV放送を見た。警察がお供え物を持ち上げて危険物を確認している。「平和の礎に警察は入ってこないでください」と具志堅さんが紙を出し声を出しながら礎周辺を回っている。小橋川さんは「なぜか警官の姿を見て涙が出てきた」と言う。県民はインタビューに次々怒りの声を上げている。具志堅さんは「確かにここで声を上げるのは不謹慎かもしれない。しかしご遺族が冒涜されているのを黙っているわけにはいかない」と答える。この報道は沖縄で大きな反響を生んだ。東京での政府交渉と沖縄慰霊祭を結ぶガマフヤーの闘いは沖縄県民とともにあることを確信した。
我々は岸田総理が慰霊祭に来るなら遺骨土砂を断念しろとキャンペーンを張っていた。岸田総理はあいさつで遺骨問題に触れ、式典後の記者会見で遺骨土砂問題に少し踏み込んだ発言をした。南部土砂について「遺骨収集が進められている」「県民が大きな関心を持っている」「地元の思いはしっかり受け止めなければならない」と踏み込んだ。遺骨収集が進められている一方、「県内県外の複数の候補地があり、確定していない」というのだから選定から外すという結論に進むべきだ。
闘いの前進があったのかと少し喜んだのも束の間。慰霊の日の2日後6月25日には、米軍による性暴行事件の政府ぐるみの隠ぺいが報道される。慰霊祭の時、総理は事件を知っていたということだ。怒りは収まらない。
(戦没者遺骨を家族の元へ連絡会 上田慶司)
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