2024年08月30日 1835号
【DSA、世界平和の鍵握る沖縄に(上)/沖縄の闘いは希望をもたらす/故郷バーレーンに重ね、美しい海を守ろう】
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ZHAP(ZENKO〈平和と民主主義をめざす全国交歓会〉辺野古反基地プロジェクト)でともに活動を進め、2024ZENKOin大阪に参加したDSA(アメリカ民主主義的社会主義者)のアーメド・フセインさんが7月29〜31日、初めて沖縄を訪れた。
7月30日、陸上自衛隊と米海兵隊との実動訓練「レゾリュート・ドラゴン24」が展開される現地を回った。
地対艦ミサイル連隊を含むうるま市の自衛隊・勝連(かつれん)分屯地のゲート前。伊盛サチ子さん(うるま市議)から、基地増設前と現状を比較した説明を受ける。米軍と自衛隊の軍艦が停泊するホワイトビーチでは、演習で日本有数のもずくが被害を受けていることに伊盛さんが怒りを込める。
美しい海に巨大な軍艦が我が物顔で居座る姿に、海に近い町で育ったアーメドさんも怒りを禁じ得ない。
戦争準備が広がる
新垣邦雄さん(ノーモア沖縄戦 命(ぬち)どぅ宝の会・事務局長)は「“今日のガザは明日の沖縄”というのが、現在の沖縄の人々の思いだ」と語り、普天間基地を一望する嘉数(かかず)高台と普天間第2小学校を案内する。新垣さんは、「平和の礎(いしじ)」の刻名写真を見せ、命名前に亡くなった赤子の存在を示し、県民の4分の1を失った沖縄戦の実相を伝えた。
基地とフェンス1枚で隔てられているだけの普天間第2小学校。運動場の端に、野球場のベンチのような囲いがあった。それがシェルターなのだと言う。「戦争となれば、離島は飛行機などで集団避難する計画。でも沖縄本島では、約146万人の人口がいるのに、空港が1つしかないから屋内避難なのです。おかしいと思いませんか?」と述べると、その理不尽さにアーメドさんもうなずいた。
嘉手納(かでな)基地に面した展望所で、福地義広さん(嘉手納町議)が嘉手納爆音訴訟の第四次訴訟の現状を報告。F16、F35戦闘機の離発着訓練を間近に見て、子連れの家族が歓声を上げている。騒音値は時折、聴覚機能に異常をきたす100デシベルを超えていた。
学習展示室で、アーメドさんは戦前の町の地図が展示されていることに関心を示した。彼は、故郷バーレーンで米軍基地拡大の変遷を地図で確認できるサイトを独力で作成するなどして、常に事実を多くの人に示すことで運動を広げてきたからだ。
辺野古に座り込むDSA
7月31日、アーメドさんは、辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前の沖縄平和市民連絡会などの座り込み集会に参加。2014年7月7日から始まった座り込み行動は3678日になる。この日は、高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会・共同代表)と上間芳子さん(平和市民連絡会)が責任者を務めていた。
高里さんの元気なあいさつで行動スタート。
「大浦湾の埋め立ては8月19日以降になり、予定はだんだん遅れている。安和や塩川はまだ運用が再開されていないので、こちらにより多くのトラックが来るかもしれませんが、がんばっていきましょう」
工事車両用ゲート前でのトラック阻止行動を終え、座り込み集会が再開。高里さんがアーメドさんを紹介、連帯あいさつに立った。
「アメリカ帝国主義が、この辺野古に巨大な基地を造ろうとし、世界中いたるところで民衆に苦痛をもたらしている。だから国際連帯して、ぜひ闘っていきたいと思っています」
海が死ぬと土地も死ぬ
アーメドさんは自らの生い立ちから語った。
「私は、バーレーンというアラビア海の小さな島国の出身で、20年前に米軍の新基地建設を経験してきました。イギリス軍が基地を造り、アメリカ軍が引き継いでさらに海を埋め立て、基地を拡張して現在に至っています。埋め立てられたトゥブリ湾はすごく美しく、手を入れてすくえばエビや小さな魚が手の中に残る、自然の豊かな湾でした。それがコンクリートで埋め立てられ、今では悪臭を放つ状態になり、空気がすごく悪くなっています」
もちろん工事反対の声はあった。「結局は埋め立てが強行されました。けれど、その時点ではいったい何を失うのかを、はっきりと自覚できていませんでした」
「海が埋め立てられて湾が死ぬと、その土地も死んでしまう。基地の拡張によって漁師は漁ができなくなり、農夫たちは農業が充分にできなくなりました。現在では、多くの島の人たちが『基地建設に反対し、もっと抵抗しておけばよかった』と言います。いったん失われたものはなかなか返ってこない。だから今、闘わなくてはならないのです」と今の闘いを強調した。
沖縄の闘いは世界へ
アーメドさんは訴える。「今日の座り込みと抗議行動に参加し、とても勇気づけられました。みなさんの闘いは沖縄だけの闘いではありません。バーレーンでも他の地域でも、共通の敵がもたらす破壊に対する、共通の闘いとして、みなさんの闘いがあります。ですから、ぜひ闘い続けてほしい。この海を、私たちの子どもや孫の世代につなぐために、ともにがんばって守ろうではありませんか」
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アーメドさんのアピールに参加者は拍手で応えた。上間さんが、自身の経験と重ねた発言で締める。
「ベトナム戦争が始まった頃、私はアメリカ海兵隊のキャンプ瑞慶覧(ずけらん)で働きました。そのベトナム戦争で世界一の米軍はベトナム軍に負けた。人を破壊し続ける戦争を、絶対に止めなければいけない。沖縄だけでなく全国、全世界の人とつながって、力を合わせて、がんばりましょう」
ZHAPを通してつながった連帯の絆は沖縄―アメリカ―バーレーンをしっかりと結びつけた。(続く)
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