2024年09月06日 1836号

【読書室/地震と虐殺 1923―2024/安田浩一著 中央公論新社 3600円(税込3960円)/差別と偏見が人を殺した/植民地主義の克服を今こそ】

 関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺。その背景には、植民地支配を正当化するために国家権力が民衆に植え付けた差別感情があった。その史実が100年後の権力者によって「なかったこと」にされようとしている。今も植民地主義にしがみついているということだ。

小池知事が追悼拒否

 1923年の関東大震災の際に虐殺された朝鮮人らを悼む9月1日の式典に追悼文を送ることを、東京都の小池百合子知事は今年も断った。歴代の都知事が行ってきた追悼文の送付を小池知事が取りやめたのは2017年のことだった。それ以来、送付拒否が8年続くことになる。

 小池知事の行為は「虐殺はなかった」と主張する歴史修正主義者を勢いづけた。そして「様々な説がある」として事実認定をはぐらかす小池流を日本政府も真似するようになった。「政府内に事実関係を把握できる記録が見当たらない」という松野博一官房長官(当時)の発言がそうだ。

 昨年9月の杉並区議会では、朝鮮人虐殺を防災パネル展で紹介した区の対応を自民党議員が槍玉にあげる一幕があった。「政府や都知事の見解」を無視する理由は何かと詰問し、「区は、いわゆる朝鮮人等の虐殺事件はあったというふうに判断しておられるのか」と言い放ったのだ。

 この時は、岸本聡子区長が虐殺の事実を明記した政府文書の存在を示した上で、「そもそも自治体は国の下部組織ではない」と一蹴した。だが、彼女のような首長はなかなかいない。「政府見解」を盾にした歴史の歪曲に迎合する雰囲気がまん延しているのが現実だ。

 そうした状況に、安田浩一著『地震と虐殺 1923―2024』(中央公論新社・税込3960円)は警鐘を鳴らす。虐殺100年の現場を回って浮かび上がってきたのは、「100年前の惨事と、そして現在の危うい社会の姿」であったと安田は言う。

「官民一体」の虐殺

 「朝鮮人虐殺は偶然でも天災でもない。ましてや地震の混乱の中で突発的に発生したものでもない。日本社会の『官民一体』の迫害体験と、その論理の積み重ねの上で起きた」。著者は本書の中で念を押すように何度も強調している。

 「震災に乗じて朝鮮人が暴動を起こした」「放火し、井戸に毒を入れた」。こうしたデマを地域の隅々まで広げ、自警団の組織化を主導したのは警察である。軍隊は「暴動鎮圧」の名目で出動し、拘束した朝鮮人や中国人を殺害した。「虐殺を煽ったのは国であり、行政」なのだ。

 とはいえ、市井の人びとが振るった暴力には慄然とさせられる。たとえば、地震による被害が比較的少なった北関東一円で発生した朝鮮人虐殺だ。自警団は警察署を襲撃し、収容されていた朝鮮人を惨殺した。埼玉県本庄市で起きた虐殺事件の様子を現場にいた警察官はこう証言している。

 「(朝鮮人の)子供達は並べられて、親の見ているまえで首をはねられ、そのあと親達をはりつけにしていた。生きている朝鮮人の腕をのこぎりでひいている奴もいた」「おばあさんと娘がきて、『自分の息子は東京でこのやつらのために殺された』といって、死体の目玉を出刃包丁でくりぬいているのも見た」

 この事件では33人が検挙されたが、裁判における彼らの言葉から罪の意識や反省を感じることはできない。「当時そのようなことをするのを名誉と思っておりました」(22歳)。彼らの弁護団も「埼玉県下百四十万県民にして朝鮮人をみて殺さねばならぬと、その観念を持たなかった者はあるまい」と擁護した。


正当化のメカニズム

 一連の出来事は「不逞鮮人(ふていせんじん)(反抗的な朝鮮人という意味の侮蔑語)は殺してよい」とする意識が当時の日本社会で一般的だったことを示している。差別、憎悪、蔑視、偏見は一夜にして浸透するものではない。震災のずっと前から、植民地支配や侵略戦争を正当化するために、国家が植え付けてきたということだ。

 関東大震災の発生は、日本の植民地支配に抵抗し、朝鮮独立を目指した三・一独立運動の4年後である。運動に参加した朝鮮人を日本の支配層は「不逞鮮人」と呼んだ。当時の主力メディアである新聞各紙も同調し、「朝鮮人は怖い。信用できない」というイメージを刷り込んでいった。

 かくして朝鮮人は国家公認の「敵」であると世間一般に認識されるようになった。日本の植民地支配に詳しい金性済(キムソンジェ)牧師は「皇国を脅かす不逞鮮人を殲滅することも許され、褒められるといった正当化のメカニズムができあがっていたのです」と語る。


ガザ侵攻と同根

 関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺は帝国日本の植民地主義を背景にしたジェノサイド(集団殺害)であった。「国家権力が差別と偏見を社会に刻印し、少なくない人々がそれを受け入れた」のである。

 それから約100年。侵略戦争に突き進み敗れた日本は、植民地主義を反省し、克服することができたのか。答えは否だ。駒込武・京都大大学院教授は「植民地支配責任と向き合うのを避けてきたこの国では、人種主義的で排外主義的な『殺意』が伏流水のように流れ続けている」(『世界』1月号)と指摘する。

 それはイスラエルのガザ侵攻を支持する政府の姿勢にあらわれている。イスラエルのガラント国防相はパレスチナ人を「人間動物」と呼んだ。相手を非人間化することで破壊と殺戮を正当化する欧米流植民地主義の論理である。これを日本政府は同じ立場から支持してみせたのだ。

 「暴力を発動させる差別を、いまこそ断ち切らねばならない」と安田は言う。歴史の隠蔽を許さず、「記憶のバトン」をつないでいかねばならないということだ。殺さないために、殺されないために。  (M)
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