2024年09月06日 1836号

【DSA、世界平和の鍵握る沖縄に(中)/まだガマは沖縄の家族の中に/戦争と暴力を終わらせる】

 前号に続き2024ZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)に参加したDSA(アメリカ民主主義的社会主義者)アーメド・フセインさんの沖縄訪問を追う。沖縄戦の傷と、そこからの再生を表現し続ける先人との出会いがあった。  (M)

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 7月29日、アーメドさんは、糸満市の沖縄県平和祈念資料館と平和の礎(いしじ)を見学。1フィート運動の米国の沖縄戦記録映像や県民の体験記を食い入るように読み込み、深く考え込んだ。


沖縄と韓国の民衆を結ぶ

 31日には、79年前、米軍が最初に上陸した読谷村(よみたんそん)を訪れ、彫刻家・金城実さんのアトリエを新垣仁美さん(ZENKOおきなわ)に案内してもらう。沖縄戦に動員された朝鮮半島出身者を追悼する「恨(ハン)之碑」を観た後、碑の前で金城さんの創作への思いを聞いた。

 「この恨之碑は、韓国から沖縄戦に強制動員された当事者の『亡くなった人を、そのまま放置するなんて、沖縄の人は冷たいのではないですか?』という言葉がきっかけで生まれた。その発言があったセミナーの中心にいた沖縄戦研究者・石原昌家さんたちが、韓国と沖縄をつなぐ慰霊碑を造ることを考え、像の作成を私に依頼しに来たわけだ。

 モチーフはすぐに決まった。処刑台へ向かう朝鮮人青年と彼にすがりつく母親。そして、それをおびえて見つめる日本兵。3つの構図は、見事にはまった。おびえている日本兵に対し、処刑台へ向かう青年の方が人間の尊厳を失わず筋肉の表現も含めてはるかに美しい。

 最初、兵士が持っているのはピストルだった。しかし、これでは兵士の狂暴性を表わすには弱いということで、銃に変わった。作品は1か月でできあがった。

 この碑は右翼からのヘイトスピーチにさらされている。私は快哉(かいさい)≠叫んだ。右翼が攻撃してくるのは、碑に攻撃するだけの価値があると示すからだ。右翼に攻撃されるぐらい注目を集めていないとだめだ」

 金城さんはアーメドさんに呼びかける。「あなたの故郷バーレーンでも、美術家、舞踊家、音楽家などの芸術家がいると思う。ぜひ芸術家を大切にしてほしい。日本の芸術家は、反戦や平和の主題で作品を制作する人が少ない。しかし、デモだけでは平和を創り出すことはできない。芸術的表現ができて、はじめて人の心を打つことができる」


沖縄戦の傷跡をみつめて

 避難した読谷村民83人が「集団強制死」を強いられた自然壕チビチリガマ。アーメドさんも実際にガマに入り、そこで失われた多くの命に思いを馳せた。

 沖縄戦の被害の足跡を辿ったアーメドさんは語る。

 「私たちがガマに入ったとき、非常に大きな喪失感を感じました。命が失われたことを考えるだけで骨まで凍るような気持ちになりました。最後の瞬間がどれほど暴力的で、どれほど絶望的だったかを考えると、非常に痛ましい。もしも沖縄が今、別の殺戮に直面していなければ、これほど痛ましくはないでしょう」 そして現在の基地と民衆の現状につなげる。

 「島の大部分を占拠する米軍基地は沖縄の人びとに戦争が終わっていないこと、新たな戦争が近づいていることを日々、思い出させています。ですから、暴力的な過去を癒し和解≠キるためには、それが終わったと知る必要があります。戦争が再び起こらないと人びとが知るまで、ガマはまだ、すべての家族の中に存在しているのです」と、沖縄民衆の心情に思いを巡らせた。

 ガザ虐殺を止めようと全米でパレスチナ連帯行動に取り組むDSA。沖縄戦の実相、基地と民衆の現状を受けとめ、その運動はさらにリアルな訴えへと高まっていくだろう。 (続く)

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