2024年09月13日 1837号

【DSA、世界平和への鍵を握る沖縄を巡る(下)/“反戦に対する情熱”が 今日のガザの悲劇を“今日”止める】

 2024ZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)参加後に沖縄を初めて訪れたDSA(アメリカ民主主義的社会主義者)のアーメド・フセインさん。多くの出会いはその心に何を残したのか。  (M)

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 7月30日夜、アーメドさんは、元名桜大学教授の與那覇(よなは)恵子さん(ノーモア沖縄戦 命(ぬち)どぅ宝の会)、11・23沖縄県民大集会で司会を担った神谷美由希さん(沖縄対話プロジェクト)、新垣仁美さん(ZENKOおきなわ)と交流した。

 與那覇さんと神谷さんは、「台湾有事」「南西諸島有事」を決して起こさせてはならないと、立場や意見・思想の違いを超えて対話した市民の取り組みを報告。アーメドさんからは、DSAがアメリカでパレスチナ連帯の運動を拡大してきた経緯を聞いた。

 「沖縄を平和の中心にしたいと活動しています」と話す神谷さんの言葉に、アーメドさんは平和運動の未来への手応えを感じた。

 具志堅隆松さん(沖縄戦遺骨収集ボランティア・ガマフヤー)も駆けつけた。「私はねぇ、沖縄戦で亡くなった方たちの遺骨を人として当たり前に扱ってほしい、その思いだけなんです」

 6月23日「慰霊の日」の式典の前にも、具志堅さんは遺骨土砂を基地建設に使わせないとハンガーストライキに取り組んだ。

 沖縄において命がけで反戦の闘いを続ける先人の言葉に、アーメドさんは深く感動したことを伝え、連帯の固い握手を交わした。

不屈の精神に感動

 沖縄を駆け巡った3日間は、アーメドさんの心に何を残したのか。

 「多くの反戦活動家に会えたのは非常に心強いことでした。彼ら彼女らの声からは、戦争に対する強い反対の気持ちが伝わってきます。それは仮定や抽象的な戦争の概念ではありません。

 反戦活動家の中には、80歳代の年配の方がたも多く、世代全体を失うことの辛さや、その当時の暴力が生涯にわたって消えないことを覚えています。だからこそ、再び戦争が起こるという考えに対する反応が強いのだと思います。彼らや彼女らの不屈の精神にとても感動しました。10年間、毎日座り込みを続けることは驚くべきことです。

 また、遺骨収集とハンガーストライキを続け、亡くなった人びとに敬意を表するために、多くの年月を費やしてきました。それは普通の義務感からではなく、情熱から来るものです。私はこれを反戦に対する情熱≠ニ呼びます。沖縄に来て彼ら彼女らに会えば、なぜ戦争に反対しているのか理解できると思います。この沖縄で、想像を絶する恐怖を目の当たりにしてきたのです。そのメッセージは本当に広められるべきです」

悲劇は二度と起こさない

 アーメドさんは、自身の闘いに引き寄せて改めて平和に向けた強い意志を語る。

 「彼らや彼女らは暴力を覚えています。沖縄県平和祈念資料館の展示を観た時も、ガザとの類似点を見い出さずにはいられませんでした。破壊された建物、寒さに震える裸の子どもたち、これらが今日のガザに見えないわけがありません。

 多くの反戦活動家が『今日のガザは明日の沖縄』と繰り返して言っていました。しかし、私の希望としては『(今日のガザは)明日はどこにもない』であってほしい。今日のガザは今日終わるべきで、沖縄に対して『二度と起こさない』象徴であるべきです。

 私たちはホロコーストについて『二度と起こさない』と言いました。ベトナム戦争についても同様です。今日のガザについても『二度と起こさない』と言うべきです。人類は教訓を学ばなければなりません」

 沖縄戦と沖縄の現在、そして人びととの出会いを通して、アーメドさんは戦争を止める思いをさらに深く刻み込んだ。ZHAP(ZENKO辺野古反基地プロジェクト)をともに進めてきたDSAとZENKOにとって、その新たな展開へつながる礎(いしずえ)になっただろう。(この項終)



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