2024年09月27日 1839号

【コラム 原発のない地球へ/いま時代を変える(6)/「パイオニア」から原発消滅の衝撃/過去には許しがたい暴言も】

 7月26日、原子力規制庁の審査会合で、日本原子力発電(原電)敦賀原発2号機が、活断層を理由として新規制基準に「不適合」となったことに感慨を覚えた。福島原発事故の記憶が規制委内部にも色濃く残っていた2013年に固まった結論とはいえ、岸田政権の原発回帰政策に抗してどこまでそれを維持できるか半信半疑だったからだ。

 福井県敦賀市と原発との関係は長い。原電敦賀1号機は1966年に着工し、1970年に営業運転を開始。同年開催された大阪万博会場にも電気を届けた。半世紀後の今、再び原発と万博が同時並行で進む状況を見ると、やはり両者は一体なのだと怒りが湧く。

 敦賀1号機より営業運転開始が早かったのは、同じ原電の東海原発(茨城県東海村/1966年)だけ。そのため敦賀市は「原子力のパイオニア」と呼ばれることもある。今回の「不適合」決定で「パイオニア」から原発の火が消えることになる。1つの時代の終わりを実感する。

 全国の原発立地自治体で作る「全国原子力発電所所在市町村協議会」(全原協)という組織がある。1968年に発足し、政府にたびたび再稼働推進を要請するなど、地方から原発推進の実働部隊となってきた。その全原協の会長職を発足以来今日までずっと独占してきたのが敦賀市長である。敦賀市が「パイオニア」と認知され、一目置かれてきたからだ。

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 その敦賀市長が信じられない差別暴言を吐いたことがある。「(原発で交付金が入ってくると)タナボタ式の町づくりができる。その代わりに100年たって片輪が生まれてくるやら、50年後に生まれた子どもが全部、片輪になるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、いまの段階では(原発を)おやりになったほうがよいのではなかろうか」。

 片輪とは身体の一部欠損を意味する。今では使うことも許されない差別語が飛び出したのは、かなり古いが、1983年1月26日、北陸電力志賀原発の地元、志賀町で行われた講演会での出来事だ。発言の主は高木孝一敦賀市長(当時)。もちろん全原協会長も兼任している。

 この発言は作家・内橋克人氏の『原発への警鐘』(1986年)で暴露された後、しばらく忘れられていたが、福島原発事故後に『日本の原発 どこで間違えたのか』に改題、復刻されたことで一気に知られることになった。人権意識のかけらも持ち合わせない原子力ムラの醜悪な正体がわかる好著といえる。

 高木孝一氏は、復興大臣も務めた高木毅衆議院議員(自民党)の父親だ。その高木議員は下着泥棒という恥ずべき犯罪歴も持つ。人権無視・差別発言の父親に泥棒息子。ふたたび国策の名で「安全でクリーン」などとどれほど宣伝されても、こんな連中が推進する原発など滅ぼすのみだ。  (水樹平和)

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