2025年04月18日 1867号
【続々・声上げたジェロニモ・ゲレスさんに聞く(最終回)/人は一人ひとりとして/相手のことを考えて生きてきた】
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イスラエル軍関係者の可能性を理由に予約希望者にキャンセルを依頼したことによる不当解雇と裁判で闘う元ホテル支配人ジェロニモ・ヴェレ・ゲレスさん。イスラエルの戦争犯罪―国際法違反、それを擁護する日本政府などの姿勢は許せないと立ち上がった。本紙1864号に続き、その闘いの背景にある日本とのつながりや生き方を紹介する。
日本の文化を学んで
私はブラジルで生まれたのでポルトガル語で育ち、子どもの時から英語も勉強していました。
大学で日本語の勉強を始め、日本の文部科学省の奨学金に応募して2005年に初めて来日。岐阜大学で1年間、日本語と日本文化を勉強しました。ブラジルに戻って卒業してから1年間、学校で仕事をしました。
日本政府の外国青年招致事業(JET)で10年に再来日。4年間、滋賀県庁の国際交流員として働きました。仕事内容は、滋賀県に住む日系ブラジル人の支援。08年リーマンショックの余波で、2万5千人いた県内の日系ブラジル人は、1万4千人になっていました。
09年に厚生労働省が失業した日系人に対して帰国旅費として本人に30万円、扶養家族20万円を支給する「帰国支援事業」で、1万1千人が帰国したのです。ただ、それを受ける条件は、「今後、日系人としての身分で日本へ再入国しないこと」を誓約することでした。
私は滋賀県で、日系ブラジル人のための情報提供や多文化共生の仕事もしました。私が海外に住んで、あまり言葉がしゃべれなかったら、どうなるだろうか?こんなものがあれば助かるだろうな。それをいろいろ考えて提供する。その時から、国際法への関心を深めていきました。
母国の日本企業で働く
14年に帰国し、ブラジルの日本企業のエレベーター工場で働くことになりました。現地のエレベーター工場を日本の企業が買収して、子会社化した会社。たくさんの日本人の出向者が来ており、私が通訳として入っていました。
その子会社の日本人の社長にすごく好かれて、「通訳だけではもったいない。エレベーターの技術的な内容についても学んでほしい」と言われました。通訳の仕事の上で、技術的な専門用語もたくさんあり、エレベーターについていろいろ学ぶ必要がありました。
その社長に「じゃあ、日本へ研修に行って来なさい」と言われ、愛知県稲沢市にある工場に行き、営業部で1年半の研修を受けました。ところが15年にブラジル経済が悪化したためにその企業が撤退することになり、社長から「今は会社が非常に厳しい。帰ったら仕事はある。でも、それはいつまであるのかわからない。どうする?」と問われました。
結局、研修の契約が切れた際、日本に残りました。現在の妻である女性との出会いもあり、京都に引っ越すことになりました。
京都のホテル支配人に
京都に来てしばらくは翻訳の仕事をしていましたが、19年からホテルで働くことになったのです。
ホテルの仕事は、今までしてきた仕事が全部活かせるものでした。日本語も使えるし、相手のことも考えるし、営業の経験もあるから。やってみたら、うまくいきました。仕事も気に入っていたし、会社にほめられたこともありました。
特にコロナ禍で大変だった時に、1棟貸しなどの面白い宿泊プランも作成して、朝日新聞にも載りました。
部屋が6つしかない小さなホテルだったから、オーダーメイドのサービスを売りにしました。お客さんと話をして、その人が何を求めているのかをつかみ、さまざまな観光案内をする。
いつも丁寧にしていたけれど、やっぱり人は人間として対応してほしいのですよ。「一人のお客さん」じゃなくて、一人ひとりの人間として対応してほしい、それが私の仕事への姿勢であり、生き方です。
いま殺されているパレスチナの人も、誰もが同じ人権を持つ一人の人間として生きる権利がある。これが国際法の考えです。だからイスラエルの国際法違反はたださなければならないし、そのために行動することが必要だと思います。
《おわり》


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