2025年04月18日 1867号
【シネマ観客席/1980 僕たちの光州事件/監督・脚本 カン・スンヨン 2024年 韓国 99分/過去が現在を助け、死者が生者を救う】
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韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が憲法裁判所の決定で罷免された4月4日、映画『1980 僕たちの光州事件』の日本公開が始まった。昨年12月の非常戒厳事態について、韓国では「光州事件の記憶が市民を導き、民主主義を救った」と言われる。その言葉の意味を映画を題材に考えてみたい。
チョルスは光州市で暮らす小学生。1980年5月17日、一家は大きな喜びに包まれていた。祖父の念願だった中華料理店がオープンしたのである。看板メニューのチャジャン麺が好評で、開店初日から店は大賑わいだった。
接客を担当するチョルスの母親は第二子を妊娠中。同居の叔父も結婚が決まり嬉しそう。唯一の気がかりは父親が長く姿を見せないことだったが、チョルスは初恋の人ソンヒといるだけで幸せを感じていた。
翌18日、そんな日常が突如暗転する。前年12月のクーデターで軍の実権を握っていた全斗煥(チョンドファン)少将が非常戒厳令を全国に拡大。民主化運動が盛んだった光州に戒厳軍を投入し、武力鎮圧を図ったのである。
戒厳軍は光州市民を「アカ(共産主義者)に煽動された暴徒」とみなし、手あたり次第の暴力をふるった。チョルスの叔父も兵隊と学生の衝突に巻き込まれ拘束されてしまう。拷問を主導したのは、ソンヒの父親である軍人だった…。
市民目線で描く
「この映画は市民の物語だ。闘士や英雄、戦士ではなく、民主抗争に参加するしかなかった平凡な人びとを見せようとした」。本作がデビュー作となるカン・スンヨン監督はこう語る。
たしかに本作の主役は当時の韓国でどこにでもいた大家族だ。チョルスの父は「市民学生闘争委員会」の広報担当だった故ユン・サンウォンさんがモデルのようだが、物語を引っ張るのは政治活動とは無縁な祖父であり、叔父である。
市民軍に志願したチョルスの叔父は「おじさんが暴徒に見えるか」とソンヒに問う。一斉射撃で市民を虐殺するような軍隊に対し、人びとが武器を取り抵抗したのは必然だった。
「光州」の記憶が導いた
昨年3月の韓国公開にあたり、カン・スンヨン監督は「韓国民主主義の根が光州事件から始まったということを言おうとした」と語っていた。前年(2023年)には、全斗煥の粛軍クーデターを描いた映画『ソウルの春』が公開され、観客動員数年間1位の大ヒットを記録している。
このように、韓国では光州事件の記憶が民衆レベルで継承されている。尹錫悦が唐突に宣布した非常戒厳が何を意味するのか、民主主義の担い手として自分がどういう行動をとるべきなのか、多くの人びとが理解していたのである。
韓国の憲法は非常戒厳を解除する権能を国会に与えている(77条5項)。だから韓国では戒厳令と国会封鎖がセットになる。1980年5月がそうだった。全斗煥は国会前を戦車で塞ぎ、議員を入れなくして戒厳解除の可能性をつぶした。
この歴史を知るからこそ、非常戒厳宣布の一報を受け、多くの市民が国会に駆け付け、武装した兵隊に対峙した。議場への侵入を阻むためである。38歳男性はこう語る。「国会議員を不法に逮捕するのではないかと思い、車で来ました。軍や警察を考えると怖かったですが、人任せにするのではなく、一人の市民としてできることをしようと」
国会が戒厳解除を素早く議決出来たのは、こうした市民の支えがあったからだ。軍や警察も市民に銃口を向けることをためらった。光州で市民を殺しトラウマを負った兵隊のようにはなりたくなかったのだろう。
極限状況の中、呼び覚まされた「光州」の記憶が人びとの行動を規定し、民主主義の破壊を寸前で食い止めた。このように言えるのではないだろうか。
歴史を継承する意味
尹大統領に対する弾劾訴追案が国会で採決される局面(12/14)で、賛成演説に立った野党議員は次のように訴えた。「1980年5月の光州は、2024年12月の私たちを導きました。44年前、孤立無援の状態でも死を覚悟して戒厳軍に立ち向かった光州市民の勇気が、彼らを守ろうとした民主主義が、私たちを動かす原動力でした。過去が現在を助け、死者が生者を救ったのです」
最後の一節は、ノーベル文学賞を受賞したハン・ガンさんの言葉を受けてのものだ。彼女は光州事件を題材にした小説『少年が来る』の執筆過程で、20代半ばの頃から抱き続けてきた「現在が過去を助けられるか」「生きている者が死者を救えるか」という問いを逆さにしなくてはならないと悟ったという。
過去が現在を助けることはできるか? 死者が生者を救うことはできるか? それ以降、本当に過去が現在を助けている、死者が生者を救っていると感じるようになったという。
「人間の残酷さと尊厳が極限のかたちで同時に存在した時空を光州と呼ぶとき、光州はもはや一つの都市を指し示す固有名詞ではなく普通名詞になることを、私はこの本を書いている間に知った。それが時間と空間を超え、何度でも私たちのところに戻ってくる現在形であることを。まさに今、この瞬間にも」(12月8日に行われたノーベル文学賞の受賞記念講演)
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非常戒厳宣布から大統領罷免に至るまでの韓国民衆の行動は、歴史を継承することの意味を私たちに問いかけている。本作のエンドロールで光州の闘いを歌った『ニムのための行進曲』が流れている間、脳裏に浮かんだのは日本国憲法第12条の一節だった。
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」 (O)

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