2025年10月17日 1891号

【京都訴訟原告と311子ども甲状腺がん裁判 声上げた若者の原告たち】

 福島原発被害者の若者が裁判に訴え声を上げている。最高裁要請行動(10月2日)に参加した京都訴訟の原告3人、311子ども甲状腺がん裁判(9月17日)で追加提訴・意見陳述した原告の声を紹介する。

一生背負わされた不安―京都訴訟原告Kさん

 大阪高裁の判決を聞いてからずっと、絶望と怒りが混ざった感覚が消えません。

 私は2018年大阪北部地震をきっかけに原発事故のPTSD(心的外傷後ストレス障害)がひどくなり、今も毎日襲ってくる希死念慮に押し潰されそうになりながら生活しています。事故当時私のように未成年だった世代は訳もわからないまま被ばくし人生を変えられてしまいました。本来必要のなかった不安を一生背負わされてしまったのです。

 私は人生で最も輝けるはずだった10代、20代を国と東電に奪われました。私の時間を返してくれないのなら、せめて国には自分たちがどれだけ大きな罪を犯したのか、その責任を認めて心から謝罪してほしい。

 そのことをもう一度最高裁で訴える権利が私たちにはあります。

原発事故の心理的負担―京都訴訟原告Yさん

 大阪高裁判決は、国民の生命や財産はどうでもよいという、憲法・法律違反を堂々と表明する恥ずべきものです。権力になびき、権利を救済しない。それは司法の敗北を自ら宣言したにも等しいのです。

 私の人生は原発事故と共にあります。被災した3歳から、現在18歳になるまでの生活すべてが避難生活の延長線上に存在しています。物心もつかない頃から原告になりましたが、裁判に関わるようになり、国が国民の人権を守っていないことを知り、絶望しました。

 私たちの声を、憲法、法律を、国の責任を、人権の存在を無視しないでください。司法の独立とその誇りを守ってください。私たちに人権があり、国にそれを保護する責任がある限り、私たちは負けません。

私たち家族が失ったもの―京都訴訟原告Hさん

 父が働いていた職場では看護婦さんたちが口を揃えて「子どもたちが何もしていないのに、毎日鼻血をダラダラ出すんだよ」と言っていました。被災地の人々は被ばくし続けます。

 父や母、姉がアレルギーを持っているため、福島の家は化学物質を使わない木の香りのする100年住宅でした。玄関や広い庭は常に花が咲き乱れていました。

 原発事故で私たちは有形無形の財産を失いました。住宅の無償提供が終わったので、中古住宅を買い直しましたが、父は75才まで住宅ローンの返済を続けなければならなくなりました。

 私たちが失ったものは、どんなにたくさんのお金を積んでも償えるものではありません。せめて、事故の国の責任を認めてもらい、国から謝罪してほしいです。

でも、私は、抵抗しよう―311裁判原告8さん

 震災が起きた時、私は小学6年生でした。原発が爆発したことはよく覚えていません。ただ、将来がんになって死ぬかもしれない。12歳でそういうことをなんとなく受け入れていました。

 原発事故後の世の中の急な変化で感情が麻痺し始めました。目の前が薄く暗くなり、沼の中を歩いているような苦痛な日々でした。でも毎日学校があり部活に行き友達と家に帰る。その繰り返しで、震災すら日常になった日々がありました。

 高校2年生のときに甲状腺がんが見つかり手術することになりました。医師から「この大きさになるには10年以上かかるから原発事故の前にできたもの」と説明されました。私は「原発事故と関係ない」というその言葉を素直に受け入れました。見つかってラッキー。せっかくだし取ってしまおう。とってしまえば大丈夫。そんなノリでした。

 手術を終え大学に進学すると、私は激しい精神症状に苦しめられるようになりました。幻聴、幻覚、錯乱状態、発作。身がちぎれそうな、激しい苦痛が続きました。精神科で、震災のPTSDと言われました。

 裁判のためにカルテを開示すると、1回目の検査の時はがんどころか、結節もありませんでした。わずか2年で1センチのがんができたのです。しかも、リンパ節転移や静脈侵襲があり、「事故前からあった」という医師の発言は嘘でした。私の精神状態は悪化し、提訴後、会社を辞めました。 私は以前、「甲状腺がんの子ども」を反原発運動で利用する人に怒っていました。大人たちの都合のいい「かわいそうな子ども」にはならない。何があっても幸せでいよう。

 不安と恐怖と混乱で、溺れてしまいそうな中、たぐり寄せて掴(つか)んだものは、怒りです。尊厳を侵された時、怒りが湧くのだと知りました。でも大人に利用されたくないと、強く願っていた私は、気づくと、国や東電に都合のいい存在になっていました。胃がねじきれそうなほど、悔しいです。

 私が受けてきたものは構造的暴力です。命より国や企業の都合を優先する中で、存在はなかったことにされていると気づきました。 私たちは、論争の材料でも、統計上の数字でもありません。甲状腺がんで、からだと人生が傷ついた私たちは、社会から透明にされたまま、日々を生きています。

 私にとって福島で育つことは、国や社会は守ってくれないと肌で感じることでした。十分すぎるほど諦め失望しました。でも、私は、抵抗しようと思います。命と人権を守る立場に立った、どうか独立した、正当な判決をお願いします。

MDSホームページに戻る   週刊MDSトップに戻る
Copyright Weekly MDS