1948年の世界人権宣言と1966年の2つの国際人権規約によってつくられた国際人権保障の枠組みは、その他の多くの人権文書によって補完されて、今日では国際法の世界にまとまった国際人権法の体系として確立している。2つの国際人権規約と並んで、国際人権法の基本条約とされるのが、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、拷問等禁止条約である。
人種差別撤廃条約は、国連憲章、世界人権宣言、1960年の植民地独立付与宣言、1963年の人種差別撤廃宣言を踏まえて、1965年12月21日に国連総会で採択された。人種差別の定義、締約国の差別撤廃義務、アパルトヘイトの禁止、人種的優越主義に基づく差別の禁止、法律の前の平等、人種差別に対する救済、人種差別に対する闘いと教育を掲げ、人種差別撤廃委員会(CERD)を設置し、締約国の報告書を審査する。日本政府は、1996年に条約を批准した。
女性差別撤廃条約は、世界人権宣言、2つの人権規約、各種の国際専門機関の宣言を踏まえて、1979年12月18日に採択された。女性に対する差別の定義、締約国の義務、保障措置、性別役割に基づく偏見等の撤廃、公的活動における平等、経済的社会的差別の撤廃、法律の前の平等を掲げ、女性差別撤廃委員会(CEDAW)を設置し、締約国の報告書を審査する。日本政府は、1980年に署名し、1985年に効力を生じた。 子どもの権利条約は、2つの国際人権規約、1924年の子どもの権利宣言、1959年の子どもの権利宣言を踏まえて、1989年11月20日に採択された。子どもの定義、差別の禁止、子どもの最善の利益、氏名・国籍の権利、アイデンティティの保全、親からの分離の禁止、意見表明権、各種の自由権、虐待からの保護、難民子どもの保護、教育権、性的搾取からの保護、少年司法の諸規定を掲げ、子どもの権利委員会(CRC)を設置し、締約国の報告書を審査する。日本政府は、1994年に批准した。
拷問等禁止条約は、2つの国際人権規約、1975年の拷問禁止宣言を踏まえ、1984年12月10日に採択された。拷問の定義、拷問の禁止、追放・送還の禁止、裁判権の設定、違反者の訴追、犯罪人引渡し、法執行官の教育、被害者が補償を受ける権利を掲げて、拷問禁止委員会(CAT)を設置し、締約国の報告書を審査する。日本政府は、1999年に批准した。
自由権規約・人種差別撤廃条約・女性差別撤廃条約・子どもの権利条約・拷問等禁止条約は、いずれも条約監視機関としての委員会を設置している。唯一、社会権規約には委員会設置規定がなかったが、国連経済社会理事会は1985年に社会権委員会を設置する決議を行い、同様の委員会が設置されている。6つの基本条約の委員会は、締約国の報告書を審査して、人権状況改善のための勧告を出している。
以上の他にも、自由権規約第1選択議定書、第2選択議定書(死刑廃止条約)、女性差別撤廃条約選択議定書、子ども売買・ポルノ禁止選択議定書、子ども兵士禁止議定書、先住民条約、アパルトヘイト条約、奴隷条約、人身売買禁止条約、強制労働条約、強制労働廃止条約、難民条約、移住労働者家族権利保護条約、ILOの労働関連条約、ユネスコ教育差別禁止条約など多数の人権条約や宣言がつくられ、国際人権法体系をなしている。
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