万景峰(マンギョンボン)号は来なかった。日本政府が展開した異例の監視・検査態勢、「スパイ工作船は来るな」式のキャンペーンに朝鮮民主主義人民共和国が反発、出港を取りやめたのである。騒動の余波は今も続いており、「北朝鮮船舶はすべて入港禁止にせよ」といった暴論すらまかり通っている。万景峰騒動とは何だったのか。
明白な国際法違反
白装束集団の次は万景峰騒動−。朝鮮の貨客船・万景峰号の入港をめぐるマスコミの集団過熱報道はすさまじかった。とりわけテレビは入港予定日の六月九日をピークに、朝のワイドショーから夜のニュース番組まで万景峰一色に塗りつぶされた。
不気味な音楽にのせて語られる数々の「疑惑」。警備にあたる完全武装の機動隊員。これに「悪い船は二度と来ないで」といった拉致被害者家族のコメントがかぶさる。こんな見世物に朝から晩まで接していれば、「疑惑の船に厳しい検査は当然だ」という気分にさせられてしまう。
だが、七省庁二千人を動員した厳戒態勢は検査の強化というレベルを超えている。入港見送りを狙った嫌がらせ行為と言ったほうが正しい。事実、ある政府関係者は「今回は、入港阻止に重きを置いた対策だった」と打ち明けている(6/9読売)。
大々的に行われる予定だったポート・ステート・コントロール(寄港国が船舶の安全性を確認する検査)にしても、現行法で万景峰号の入港を阻むために省庁間の協議でひねりだした案だと言う。
このような事実上の入港規制措置は、明白な国際法違反である。国連海洋法条約第24条(沿岸国の義務)は「特定の国の船舶に対して…法律上又は事実上の差別を行うことをしてはならない」と定めている。日本の港湾法も「港湾局は、何人に対しても施設の利用その他港湾の管理運営に際し、不平等な取扱いをしてはならない」(第13条)と規定している。
つまり、朝鮮の船舶を狙い撃ちにした規制措置は、国際法にも国内法にも抵触する違反行為なのだ。
日米両政府の意図
もっとも、日本政府は自らの行為が国際法に違反していることぐらい百も承知であろう。そもそも今回の厳戒態勢は、不正行為の防止や摘発自体に重きが置かれていたのではない。
政府の狙いは、日本中を巻き込む「騒動」を演出することによって「北朝鮮=現在進行中の脅威」というイメージを世間に訴えることにあった。何のために。ブッシュ米政権と歩調を合わせた対朝鮮強硬政策に国民の合意を取りつけるためである。
イラク・フセイン政権の武力転覆に味を占めた米国のネオコン(新保守主義)一派は、朝鮮に対しても武力行使をほのめかしている。ネオコンの論客リチャード・パール(国防政策委員会前委員長)は「米国単独でも北朝鮮の核施設への限定攻撃に踏み切る準備をしておくべきだ」とまで言い切った。
ネオコン一派の発言力が増す中、ブッシュ政権は朝鮮への強硬姿勢を加速度的に強めている。一方の小泉内閣も有事法制の整備=戦争国家づくりに「北朝鮮の脅威」を最大限利用してきた。
五月の日米首脳会談において、両国首脳は朝鮮に対する圧力強化を確認。これを受けて小泉内閣は、送金・貿易の停止といった経済制裁措置の検討に着手した。政府内では「国連決議があれば、周辺事態とみなし、米国が望む臨検への自衛隊による後方支援も可能」といった声も出ているという(6/6朝日)。
こうした圧力路線を進めていくには「追い風」となる世論が必要だ。米国上院における朝鮮亡命者の証言(「ミサイル部品の90%は日本から万景峰号で運ばれた」)に端を発した万景峰騒動は、世論を喚起するための日米合作PRイベントだったのである。
傷つくのは庶民
万景峰騒動の演出にあたって、好戦勢力は拉致被害者家族を前面に押し立ててきた。「北朝鮮の船が絶対に入らないようにしてもらいたい」といった被害者家族の声がくり返し報道されてきた。
しかし政府の圧力路線は拉致問題の解決を遅らせるばかりである。日朝平壌宣言の白紙化ということにでもなれば、家族の分断状態がそれこそ固定化してしまいかねない。
また、万景峰号の入港規制は国内唯一の日朝航路を閉ざすことを意味する。これは家族親族が朝鮮にいる在日朝鮮人にとっては死活問題である。圧力路線という名の戦争挑発が日朝両国の家族を引き裂こうとしているのである。
最後に、ある在日朝鮮人の言葉を紹介しよう(6/9毎日夕)。「薬や生活費を送らなければならないので、今後も入港できない状況が続くのは困る。国家間の争いで傷つくのはいつも庶民」 (M)