ブッシュ米大統領がイラク攻撃の「終結宣言」をしてから二か月がたつ。だが、占領支配を続ける米軍に対する民衆の抵抗は強まる一方だ。いま「治安」の悪化=米兵への攻撃をもっともおそれているのは、占領軍自身だ。フォトジャーナリスト広河隆一さんをリーダーとするイラク戦争被害調査チームが聞いた「略奪」の実態から、そんな実感を持った。(豊田 護)
夕方の街をパトロールする連合軍兵士(5月18日・バスラ)
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「レッツ・ゴー」の号令で
「略奪」の現場を見た。イラク南部の主要都市バスラ郊外にある学校だった。黒板・蛍光灯がなくなっている。放火もされたのだろうか。壁もすすけていた。”何か変だ。自分たちの子どもが通う学校から、一体誰が盗み出すというのか。”そんな疑問がわいた。
サダム・フセイン体制の崩壊とともに、イラク各地から「治安の悪化」が報道された。「略奪」という言葉が頻繁に使われた。バース党や政府機関の建物だけでなく、博物館・病院なども対象となった。「治安」回復のためには米英軍の存在が必要との印象を植え付けた。
その一方で、「略奪」の手引きをしているのは連合軍だとする証言が、インターネット上に流れていた。調査チームも、同じような証言を得た。
ナシリヤ市の技術学校。建物はレンガ積みの塀で囲われていた。塀の高さは一・六メートルほど。大人なら容易にのぼれる。その一角が壊された。
「盗賊団は塀の前で待っていた。先生や生徒は抵抗したが、五時間にわたって破壊行為をはたらいた。先生は連合軍に助けを求めたが、何もせず見逃していた」
略奪を目撃したパン屋のカリームさん(ナシリヤ)
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通りの向かいにあるパン屋の主人・カリームさん(40)が一部始終を見ていた。塀に穴をあけたのは連合軍の戦車だった。「レッツ・ゴー」と号令をかけた。兵士は「いいぞ。やれやれ」と手をたたいてはやしたてていた。その様子を見ている人々を「あっちへ行け」と追い払った。
誰のための治安か
ナシリヤの外科病院を訪ねた。四月九日に爆撃を受け、三人が死んでいた。「この病院で起きたことを話してほしい」。返ってきた答えは「略奪」の話だった。
「何日か後に、強盗団がやってきて、コンピュータや備品をとっていった。患者も避難しなければならなかった」。アブダル・ハディ副理事長は院内を案内した。カルテ保存倉庫は焼けこげていた。犠牲者や負傷者の資料がなくなって、戦争被害の状況はわからなくなってしまったという。
「強盗はクウェートなまりだった」と語るアブダル・ハディさん
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「強盗団はどんな人だと思うか」
「イラク人ではない。話し言葉のアクセントがおかしかった。クウェートなまりだ」
米英軍は、アラビア語の通訳に多くのクウェート人をつれてきている。大義名分の一切ないイラク攻撃。「治安」の悪化を作り出すことで、占領を正当化する以外ない米英軍の焦りの姿が見える。
窃盗行為が全くないわけではない。バスラの街では盗品と思える品物が市場にあふれていた。しかし、あたかもイラク人全体が無法者であるかのように印象づける「略奪」報道は明らかに違う。
「モラル・ハザード」を問うのなら、殺人を正当化する占領軍こそが、糾弾されねばならないはずだ。その米軍が抵抗にあっている。戦闘終結後、報道されているだけですでに五十人近い米兵が殺された。「治安の悪化」をいまもっともおそれているのは、他ならない米軍である。自衛隊を「治安」のために派遣するという。米軍に替わって、占領への怒りに燃えるイラクの人々を銃口で抑えこもうというのだろうか。
パン屋の主人カリームさんはこういった。「米軍は別のサダムさ。二か月たったがわかるだろう。連合軍はイラクを救うことなどしない。第二のサダムがやってきて長く居座ることになるかもしれない。これが”自由イラク”への道さ」 (続)