無防備条例実現スタートの集い(1月28日・藤沢市)
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神奈川県藤沢市の無防備地域宣言条例案は、4月18日に議会で否決された。2万筆の直接請求署名、120名もの議会傍聴に示される市民の熱意は条例実現に結実しなかったものの、「国民保護計画」の策定を通した有事体制づくりを阻む力が地域に存在することを明らかにした。
「戦争非協力・無防備条例をめざす藤沢の会」は4月27日、藤沢市内で「この結果をどう受け止めるか−将来の展望を切り開くために」と題して報告集会を催した。
「よくここまでできた」という声が市民から数多く上がるる一方で、議会で賛成した議員らからは「どう条例化するかの道筋が不十分だった」という意見が出された。
その時、一人の男性が立ち上がった。「あまり協力できなかったが、皆さんの声を聞きたくて参加した。いろいろなことはあるだろうが、皆さんは大変すばらしいことをやり遂げた。そのことに自信を持ってほしい」と語りかけると大きな拍手がわいた。平和に向かって進もうと地域の心が一つに結ばれた場面だった。
目標数は2万
神奈川県藤沢市は、江ノ島に象徴される美しい海岸線を持ち多くの観光客が訪れる。その一方で、北接する綾瀬市などにまたがる米軍厚木基地の航路下にあたり、夜間離発着訓練の騒音に苦しむ基地被害の町でもある。人口およそ39万人で、直接請求に必要な署名数は約6300筆。
署名運動開始にあたり、会は目標数を法定数の3倍の2万と設定した。多くの市民が「まさかそんなの無理だ」「6千だってきついのに」ともらす数字だった。会の岡村孝子代表は「別に成算があったわけではありません。条例を実現しようとしたら、これだけの数字はどうしても必要だと思いました。市長が選挙で獲得したのが6万票なのだから、市政に大きな力を与えることもできる」と振り返った。
出発式でアピール
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9割以上が街頭で集まった東京・荒川区と対照的に、藤沢市の際立った特徴は、地域の口から口へと広がったことにある。署名開始時におよそ100人だった受任者は、署名期間1か月で600人を突破した。終盤では連日1千を越える署名が受任者によって事務所に持ち込まれた。
軍事施設撤去に共感
請求代表者の一人で自主保育グループを主宰する福永雪子さん。日中街頭に立てない分、時間をやりくりして一人、二人と訪ね歩き、母親から母親へ声は広がったという。「多くの人に呼びかけることはできなかったが、一人一人とひざを突き合わせるように話し合えた。地域も国も、子どもたちが安心して暮らせなくなったことを痛感しました」
運動の経験がなかったという女性は、当初は夫の理解がなかなか得られなかった。ところが、毎日のように人が自宅に来て、署名で埋まった用紙を置いていく。「夫は批判的なことをほとんど言わなくなりましたね。少しは見直したんでしょうか」と笑って振り返った。
基地被害に苦しむ地域へも署名は広がった。海岸近くでサーフボードなどを並べた店の主は「レジャーだって平和であればこそ」と署名に応じた。署名を呼びかける声も飛行機の騒音にかき消される町だけに、無防備地域の宣言の要件とされる軍事施設の撤去という言葉に共感を寄せた市民も多い。
無防備地域の運動は平和意識を掘り起こし、地域のつながりを育てた。この力が、議会での実質審議を作り出した。(つづく)