2005年06月10日発行890号

ビデオ&DVD

【メディアが伝えぬ米軍の蛮行】

ドキュメンタリー映像『ファルージャ2004年4月』取材・撮影・編集 土井敏邦 / DVD・VHS 55分

 イラクに関する情報は、極端に少なくなった。特に占領軍の蛮行を伝えるものは皆無と言っていい。「テロリストのアジトだ」といいがかりをつけては、街を封鎖し破壊と虐殺を現在もなお続けている。

 この作品は、その虐殺行為の象徴であるファルージャ侵攻を現地住民の証言によって明らかにした記録映像である。

 2004年4月、米軍は約1か月にわたり数千の兵力でファルージャの街を包囲し、クラスター爆弾などを使い無差別攻撃を仕掛けた。住民の死者は700人を超え、負傷者は3千人にも達する。

 なぜこのような攻撃を受けたのか。

 ファルージャは武装組織の根拠地ではなかった。住民はむしろサダム独裁体制からの解放を歓迎した。だが、米軍は03年4月28日、住民の小学校再開要求デモに銃撃を加え25人を殺した。「私たちの体験したのは、米軍による住民虐殺」だった。以後抗議する住民に米軍は激しい弾圧を加えていく。

 04年4月、4人の米国人殺害事件を口実に米軍は街を包囲し25日間にわたる断続的攻撃を仕掛けた。包囲が解かれた10日後、現地に入った作者は、破壊されたモスク、瓦礫の山と化した民家を見、住民の悲しみと怒りの声を聞く。

 最も激しい攻撃を受けたジュラン地区。アリ・ザーヒ(30)の家には、安全を求め避難してきた親戚など41人がいた。大半が女性や子どもだった。4月6日、爆撃で31人が死んだ。血まみれの布団、頭皮のついた髪、ミイラ化した足の断片をカメラは映し出す。空爆が続く中で、切断された遺体の収容に2日かかった。

 妻と2人の娘を亡くしたジュマ・ハッサン。2人の子どもを銃撃されたザヒー・オベット。十分な治療も受けられぬまま庭のテントに横たわる人々。

 総合病院副院長アブドゥル・アルハディティはこう語る。「患者の多くは、女性・子ども・老人だった。武装戦士ではない。ファルージャの住民は戦闘に反対していた。戦士と呼ぶのは勝手だ」

 病院のベッドには、停戦後狙撃された少年が横たわっていた。500を超える墓石が並んだ臨時墓地で男が叫んだ。

 「アラブの国でも米国でもイラクに軍隊を送ったどんな国でも、われわれは敵と見なす。たとえ日本でも敵だ。日本がファルージャの住民殺戮に加担したと見なす。誰が日本の軍隊をイラクに連れてきたのか。米国だ。米国は世界の敵だ」 これが小泉首相が、是非成功させねばと語ったファルージャ攻撃の実態である。ファルージャは11月に、もっと激しい攻撃を受け、死者は万を数える。ファルージャだけではない。同じような虐殺が、他の都市でも行われている。マスコミの伝えない占領の実態を広げてほしい。    (T)

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