女性国際戦犯法廷判決は、20世紀最後の、そして21世紀最初の民衆法廷という歴史的位置にふさわしい理論水準に到達した。というよりも、民衆法廷のモデルとはなりえないくらいの高水準といったほうが正しいかもしれない。
第1に、日本軍性奴隷制に関する膨大な事実証拠を丹念に精査し、細部と全体像をくっきりと総合的に描き出した事実認定それ自体が高く評価されるべきであるが、そのジェンダー観点の分析の豊かさも特筆に値する。
第2に、日本軍性奴隷制をめぐる国際法解釈の展開も魅力的である。すでに戸塚悦朗、国際法律家委員会、ラディカ・クマラスワミ、ゲイ・マクドゥーガルらによって踏み込んで展開された解釈論を踏まえて、さらに徹底的に国際法の可能性を追求している。しかも、犯行当時の国際法の解釈を的確に提示すると同時に、そこに現代人権論とジェンダー観点を導入することで、いっそうの鋭さを増している。
第3に、加害―被害関係を単に固定的に捉えるのではなく、歴史の中における加害―被害関係の錯綜した状況にも配慮している。同時に、現在の責任追及主体と日本政府とを単に対置しているわけではなく(もちろん、まずは対置するのだが)、カミングアウトしたサバイバーたちの闘いを中軸にすえながら、日本とアジアの女性たち・男性たちの運動が目指してきた未来を正面から見据えている。
判決を手にした女性たちの次の主要な仕事は、判決を世界に広め、問題解決を求める運動に活用することであった。ウエッブサイトへの判決の掲載、法廷記録の出版、国連人権小委員会への報告、女性差別撤廃委員会や各種の国際セミナーへの報告、ビデオ英語版の送付などさまざまな取組みが続けられた。
ところが、2つの出来事が判決活用運動を鈍らせたように思われる。
第1に、法廷提唱者であり稀有のフェミニストである松井やよりの早すぎた死である。それは日本の運動にとってもあまりにも大きな衝撃であったが、アジアの女性たちにとっても喪失の大きさは計り知れない。もちろん、松井と同じ夢を追い続けてきた内外の女性運動はそれまで同様に懸命に努力を続けることになるが、運動の速度が鈍ったことは否めない。
第2に、NHK番組改変問題の突発である。政治家による圧力とNHK上層部の政治的判断による番組改変は、NHK訴訟という別枠の運動を必要とすることになった。そのことが女性国際戦犯法廷の意義を逆に照らし出すという面もあったし、女性運動継続のひとつのモメントとなった面もあるのだが、本筋の判決活用という点では力をそがれることになる。
他方、松井の遺志による「戦争と女性博物館」建設運動も動き始め、日本軍性奴隷制度をめぐる運動は、多面的な広がりを持ちながらも、歴史教科書問題に代表される反動攻勢に晒されることになる。「慰安婦」論争、歴史教科書論争、南京事件論争など90年代後半からの逆流は、自民党によって組織された運動ではあるが、一部メディアや知識人の活躍によってナショナリズムやミリタリズムの復権をもたらした。NHK問題もその一局面である。
女性国際戦犯法廷判決は直接的な影響力として考えた場合には、判決言渡し直後の数年間の力しか持たないので、その意味では判決活用の勢いがそがれたことは残念なことであった。しかし、判決が提示した法理の理論的力はもっと長期にわたって残るはずである。
<参考文献>
前田 朗「女性国際戦犯法廷判決を読む」『民衆法廷の思想』(現代人文社、2003年)