先行した大阪市、枚方市、荒川区の運動に学んだ藤沢市の無防備地域宣言条例運動は、議会での実質審議を実現して今後に大きな財産を築いた。
署名を呼びかけ(1月28日・藤沢市
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4月18日、2万人の市民が求めた条例案が臨時議会で否決された直後、夜まで傍聴を続けた市民の中からは、落胆の表情の一方で「平和運動として今までになく広がった」「座っていて平和は訪れない。すばらしい体験ができた」という感想があがった。
戦争非協力・無防備条例をめざす藤沢の会の岡村孝子代表は「悔しいという思いは当然ありますが、2万の市民の思いは戦争に協力しないということ。今日の審議を今後に生かして進んでいきたい」。その言葉に暖かい拍手が起こった。
傍聴につめかけた市民の心を捉えたのは、本会議で5人の請求代表者に与えられた合計1時間の意見陳述だった。直接請求した市民が市議会で発言するのは初めてのこと。練習を重ねて、時間は合計で30秒ほどの誤差しかなかった。市長見解への反論、平和への思いなどをそれぞれが分担して語りつくした陳述に、議会休憩時には「立派だった」「ありがとう」と人の輪が代表者を取り囲んだ。
今後につながる発言
審議の中では、市長や市当局から今後の運動につながる多くの発言が引き出された。
最大の争点となった、市が宣言主体となりうるかという問題について、当初市長が付した意見書は「(国の見解では)国において行なわれるもの」「地方公共団体が…宣言はできない」と、国の見解を丸写しにしたものだった。
ところが審議に入ると、賛成の議員の質問に対して市当局は、赤十字国際委員会の解説書を読み上げて「何らかの事情があれば市が宣言できる」と明言。沖縄戦の際、島民が軍の進駐を拒んだ結果、米軍の攻撃をまぬがれた前島の体験については「一定の条件があった」と留保をつけながらも事実を認めた。
反対派の議員も全員が「平和を求める熱い思いは重く受け止める」「平和のために日ごろから努力と活動をしている」など、署名を頭から否定することはできなかった。議会で反対した理由をわざわざチラシにして支持者に配った議員もいる。
現市長は、市の平和行政を後退させてきたという批判を恐れ、「憲法9条はいいこと」「ニューヨークの国際会議では機会があれば無防備条例運動も紹介したい」などと述べた。地域で平和をテーマに音楽活動を続けてきた市民は「平和事業の予算を年々削減してきた市長があそこまで言うとは」と驚きの声をあげた。
議員に直接面会
会は署名簿を市に提出した直後から条例実現への手立てを尽くした。「電話だと多忙を理由に断られるから」と、連日10人を超える市民が議会に足を運び、居合わせた議員に直接面会を求めた。「あなたを信じて投票して周りに推薦もしたのに」と市民から詰め寄られて、たじたじとなる議員も。36人のうち24人の議員との話し合いが実現した。議員発言を連日紹介し続けたホームページに、議員から「私の発言の真意が伝わっていない」という申し入れがあったり、市から「昨日の話はまだ載らないのですか」と問い合わせが来るほど会の動きは注目を浴びた。「ジュネーブ条約」「無防備地域宣言」といった言葉が、誰もが論議を交わせる問題として市政の中に定着した。
市当局は国民保護計画策定についても触れて「無防備地域宣言は武力攻撃事態への対処方針についての対案の一つ」との見解も表明した。
岡村代表は言う。「世の中がおかしくなってもどうしたらいいか分からなかった市民がたくさん共感してくれた運動です。国民総動員体制を作ろうとする流れに今後も市民が声を上げていく、その足がかりへ一歩も二歩も踏み出せたと思う」