2005年06月17日発行891号

重い扉を開けて

【遥かなりシベリア(十三)】

 案の定、舞鶴上陸後の米軍の取調べは厳しかった。ナホトカ作業隊の隊長なら赤の闘志に決まってるという先入観が、若い二世の下士官には初めからあるらしい。

 とにかく見たもの聞いたもの、そして自分の感じたこと洗いざらい白状せい、と威丈高だ。これには思想は関係ない。とにかく一日も早く家族の下に帰りたい、帰らせたい、だったんだと口を酸っぱくして説いたがさっぱり通じない。二言目には「沖縄で重労働」。

 やがて或る日、突然ジープに乗れという。

 あヽ愈々沖縄かと思ったが、いきなり収容所の裏手に車を廻して止めると、おもむろに拳銃を取り出し、撃鉄を起した。

 「あらためて尋ねる。もし君の答えが嘘だったら重大な結果を生ずるだろう。その責任は君自身にある」と此方を睨(にら)んだ。

 私はしばらく沈黙したが、努めて冷静にこう答えた。

 「君が問う日本新聞社の男というのが誰なのか、オレは知らない。しかし、貴方は信用しないだろう。どんなに真実を主張しても、頭から信用していない相手には通じようがない。誠に残念だが、これ以上言うことはないから好きなようにするがいい。

 ただひと言言い添えておくが、オレは旧日本軍の下士官、貴方もアメリカ軍の下士官、兵士としては同じだ。その同じオレが一枚の赤紙で生死の境をさまよった挙句、漸(ようや)く踏んだ故郷の土の上でこの有様だ。同じ兵士の貴方から全く身に覚えのない難題を押しつけられるのも、敗戦の責任上止むを得ないというのであれば、それは天皇に向って言ってくれ。

 真に責任を問われなければならぬのはオレではない」

 そのまま腕を組んで空を仰いだ。八月の抜けるような青空の向うに、一片の白い雲と一個の太陽が浮んでいた。妙に静かだった。

 相手の荒い息使いが聴えていたがやがて、いきなりジープが走り出した。ぐるっと建物の廻りを巡って玄関に止めると、「行け」。

 そのままジープは一散に駈け去った。総ては終ったのである。

 数日後、収容所から解放されて舞鶴駅に向う途中、後ろから呼び止められた。振り向くと、長身の蒼白い男が大きなマスクをずらして、「長野の五味といいます。お世話になりました」と頭を下げた。

 私は無言で目礼を返すと、そのまま歩き出した。その後半世紀余、何の連絡もない。

        〈この項完〉

 (「わんぱく通信」編集長)

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