1980年代の行政改革以来、日本政府は民活・規制緩和路線を国策として進めてきた。電電公社はNTTとなり、国鉄は分割・民営化されてJRとなった。そして今、小泉内閣は郵政事業の民営化を強行しようとしている。
こうした政府の路線を支えてきたのが、マスメディアによる民営化賛美の大合唱であった。今では「民営化=善 / 国営=悪」という認識がすっかり世間に定着してしまった。
こうした「民営化すれば何でもうまくいく」論を、本書は根拠のない「虚妄」だと批判、諸外国における民営化の実態を検証している。日本政府やマスメディアは海外の事例を「民営化の成功例」として紹介してきたが、本当のところはどうだったのか。
たとえば、ニュージーランドの実態である。公務員の削減や国有企業の売却を過激に進めたニュージーランドは「行革・規制緩和の模範生」と賞賛されてきた。しかし、当のニュージーランド国民は、民営化による公共サービスの低下に不満を募らせていた。
郵政事業を例にすると、農業地帯や辺地への配達料金が民営化で2倍に引き上げられたことに対し、支払いボイコットなどの反対運動が展開された。郵便局の相次ぐ閉鎖に対しては、異議申し立ての訴訟が何件も起きている。
そうした国民の怒りが高まる中、民営化路線に固執した国民党政権は96年の総選挙で敗北。民営化路線の見直しを掲げた新政権は、航空会社や鉄道会社の「買い戻し」を行った。国民の不満が大きい金融面でも、国営銀行を復活させる構想が浮上している。
民営化路線のさきがけとなったイギリスでも、その破綻は明らかだ。国鉄を100近い会社に分割民営化した鉄道で大事故が続発。ブレア政権はインフラ整備会社を国の財政管理下に置くことを余儀なくされた。事実上の「国鉄分割民営化失敗宣言」である。
諸外国の事例は、公共事業を営利企業にゆだねることの危険性を物語っている。儲け優先の資本の論理は、万人に保障されるべき公共サービスを破壊する。それは利益至上経営の帰結というべきJR西日本の脱線事故を見ても明らかだ。
ところが日本の小泉内閣は、民営化路線の見直しに向かい始めた世界の流れをよそに、「何が何でも民営化」にしがみついている。その民営化原理主義ぶりは、本書が指摘するように、海外の先例を上回る。
「小泉改革全体に言えることだが、主張するのはただ単に『政府が何をしなくなるか』だけで、あとは『民間にできることは民間に』…と唱えて丸投げするだけなのだ」と著者は言う。巷にあふれる民営化賛美にまどわされてはならない。それは公共サービスの切り捨て、公的責任の放棄を意味している。 (O)